カテゴリー「日月王仁予言」の22件の記事

2016年5月 8日 (日)

2016年5月8日日ユ同祖論、久慈力・祇園祭の秘密

   去年2015年5月に日ユ同祖論にふれましたが、昨日、久慈 力(つとむ):祇園祭のおおいなる秘密、批評社、2004を読みました。

(引用)
   日本ユダヤ教団ラビ(教師)、マーヴィン・トケイヤー氏は「ユダヤと日本謎の古代史」(産業能率大学出版部)の中で、祇園祭はシオン祭ではないかとして次のように述べている。
「いずれにせよ、ユダヤ人がこの祇園祭を見たとき、始めて感ずることは、“ギオン”という名前はユダヤの別名である“しおん”ではないかということである。またその祭り自体が、古代ユダヤ歴史のドラマ化されたものが表現されているように感ずるのである」
 さらに驚くべきことに、八坂神社の宮司であった真弓常忠氏もまた、『祇園信仰』(朱鷺書房)の中で、牛頭天皇(ごずてんのう)と蘇民将来の説話を説明しながら、「祇園の信仰と習俗は、ユダヤの『過ぎ越しの祭り』に似ています」と論じている。
(引用ここまで)

 この本を通して、祇園祭とシオン祭りの類似点が縷々述べられている。
 秦氏、藤原氏、天皇家に流れるユダヤ文化が示されています。
 1年経って、まさかと思っていた日ユ同祖論、ユダヤ、旧訳聖書の文化が日本文化の中に相当色濃く入っているようです。
 全くびっくりですね。旧約聖書の世界が日本古代史のなかに入っているのです。
 なんとなく感じていた旧約聖書の世界と古神道の「中今」が実はおおいにつながったいることになります。内容まではよく分かりませんが。

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2015年5月26日 (火)

2015年5月26日、神道とユダヤ教

 面白い本を読みました。
 保江邦夫著、「伯家神道の祝之神示を授かった僕がなぜ ハトホルの秘儀 in ギザの大ピラミッド」、ヒカルランド 2013
 保江邦夫という人は、理論物理学者で、合気道を学生時代からやってきた人だそうです。旭川図書館から彼の「合気開眼」、海鳴社、2008を借りて読んで、少し面白かったので、伯家神道の中古本を買って読んだのです。
 古神道の伯家神道、ピラミッドとスフィンクス、UFO、アンドロメダとシリウスを保江氏がつないでいるのです。
 全くぶっ飛び本です。保江氏自身、ねっからの理論物理学者で、少し変わっているのが合気道を大学生時代からやっていたことくらいでしょうか。ただ、小学校のUFOを見た体験があって、UFOの本は読み続けていたとのことです。いわば全く普通の科学者で常識的発想を心がけてて居る方のようなのです。 
 ところが2012年3月9日に白山神社の先代神主の姪御さん、岩田明美さんにあったことからこのノンフィクションは始まっています。タイトルの通り、伯家神道の祝之神示を授かり、2012年11月23日、大ピラミッドの王の間に入ることとなる経過とその意味が書かれています。
 このなかに、「日本伝統の神道が実はユダヤ教そのものだったという何人かのイスラエル人研究家による学説に、僕は傾倒していた。」とありました。
 ついこの間、「聖書の暗号」と神道の「中今」に共通のものを感じていたのですが、すでにイスラエル人研究家が同様のことを言っていたのですね。
 私が神道を少し勉強してみたいと思ったのは、「中今」を知りたいと思ったからでした。今回、保江さんの本でその手がかりを得た感じがしました。面白いです。

  午後2時から田に水を入れました。取水口にタイヤを立てて、最大の取水量にしましたら、5時間でいっぱいになりました。

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2015年5月16日 (土)

2015年5月16日、日ユ同祖論

 諏訪神社のお祭り、祇園祭の山車、ほかにも沢山、日ユ同祖論的な事実を知ることが多いです。
 日ユ同祖論を始めて知ったのは飛鳥昭雄のマンガだったと思います。以後、気にしてみていますと、結構、神社や、神道とユダヤ教の間にも関連が見られたりするらしいのです。以前は、「まさか」と思っていたのですが、無駄な抵抗をやめて、そんなこともあるかもしれんなあ、と思うようになっています。
 だいたい911テロの米国内部犯行説だって、最初「まさか」と思っていましたが、2,3年のうちには間違いないと確信に変わりました。
 ほかにも私の考えは陰謀論者に近いものらしいのですが、ま、いいか、と思うようになっています。
 今回の安倍首相の安保法制化でしたか、これは間違いなく戦争への道です。
 かって、戦争反対を叫んでいた私ですから、この安倍首相の動きには絶対反対のはずです。

 ギリシャの古い詩に「涙しげき戦の技を好みたりき」という断片があります。
  とくに男は戦争が好きなのでしょう。
 安倍首相も好きなんでしょう。
 戦争反対ではなくて、負ける戦争反対と言わねばなりません。
 今のこの国では、どうなんでしょう。当分、米国にしっぽ振らないと負け戦になるでしょう。経済戦、情報戦、軍事戦に勝てるだけのものをもってからでないと、自立戦争は出来ないのではないでしょうか。理想論では戦に勝てません。現実論で行かざるを得ないでしょう。
 今日は書くことがないなあ、と思っていたら、こんな文になりました。
 また寝るのが遅くなります。
 心配して下さる方がいらっしゃると思うと、ついブログに書いておこうと思います。

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2015年4月18日 (土)

2015年4月18日、シュタイナー、天風、神道中今

 In Deep は毎日見るブログの一つです。薬の問題、子どもの問題など共感を持つ記事が多いです。
 最近、シュタイナーと中村天風の記事が出ていて非常に懐かしかったです。
  中村天風は現代と言って良いと思いますが、日本一の快男児です。でも彼を知ったのは、船井幸雄の文を通してですから、知ってから6,7年にしかなりません。日本の英雄として、小学生中学生すべてに知らしむべきと思いますが、戦後情報統制の中で隠された人物だったのでしょう。なにしろ、正当防衛にしろ中学生を殺し、スパイとして中国で活発な活動をした人ですから。
 シュタイナーについては40年近く前から、はやりの一番最初の頃から愛読していて、相当のめり込みもしたのですが、日本の現実とはかけ離れていて、日本的なシュタイナーを探すというか、日本のオリジナルな思想を探す方向に移りました。
 出口王仁三郎が日本的思想家のように感じています。

 繰り返しになりますが、「聖書の暗号」系列の本を読んでから、時空をこえる存在があるかもしれないと思い、私にとっては人生最大の不思議のことと思っていました。ところが、古神道に「中今」の考えがあり、時空を超越する思想があるらしいことを知りました。
 というわけで神道の「中今」を勉強しようと思っています、というのが最近の私の関心事です。とくに書くことがなかったので、とりとめなく。非常に面白いです。

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2014年12月 6日 (土)

2014年12月6日、七沢賢治、「中今」

 七沢賢治、2020年「新世界システム実現」のための言霊設計学、ヒカルランド、2012の234ページからです。 

(以下引用)
   ここで日本哲学の特徴として強調したいのは「中今」という概念です。それは、今この瞬間に創造と破壊が起きていることを知ることです。今この瞬間に世界が創造されているのであれば、人はその創造に関与できます。つまり、個人の創造意志によって自己と世界とを設計(デザイン)できるのです。
  通常、このような考え方は客観的なものだとはみなされません。
  しかし、西洋哲学は客観ばかりを推し進めてきた結果、主観が弱くなってしまい、これは「弱い人間観」につながる結果となりました。つまり、広大な宇宙において人間は小さくて弱い存在だという人間観です。
   一方、日本哲学は主観を忘れることなく「強い人間観」を保持しています。これは個人の創造意志によって創追が行われるという力強い人間観です。
   これまで、科学はそのような人間観を否定してきましたが、量子論/量子力学の登揚がその状況を変えました。個人の意識が創造に関与しうるということが、科学によって明らかにされてきたからです。
(引用ここまで)
 

  びっくりなのです。日月神示に「過去も未来も生み続けている」という言葉がありました。

  古神道の考え方らしいのです。現代科学最先端の、量子力学にはあり得ることらしく、古神道と量子力学が似た概念を持っているのが不思議ですし、惹かれます。

  雪がひどくなってきました。もっと「中今」を考えていたいのですが、冬準備が終わっていないし、薪づくりと薪運びをしなければ。その前にチェーンソーの刃を研がなければ。勉強の方が楽で楽しいですね。

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2013年4月17日 (水)

2013年4月17日、ジュード・カリヴァン「共同創造」

 今朝も霧雪とでもいうような小粒の雪が降っています。東旭川の田は地面が出ていましたが、愛山の方はまだまだ固い雪が残っています。それでも確かに雪は融けていて、南の畑のリンゴの枝が出て来ました。ひどく枝を傷めたようです。ごめんなさい。

 ジュード・カリヴァン(Jude Currivan)という方は、物理学者(修士)であり、宇宙考古学者(博士)であり、国際的ビジネスウーマンであって、今は宇宙意識とスピリチュアルを融合しようとする人らしいです。その方の「宇宙につながる第8のチャクラ」、徳間書店、2009年の112ページから引用します。

 Co-Creation(共同創造)-私たちの気づきによって現実は作られる
 人間は空間的にも時間的にも非局在的なレベルで知覚が可能であり、なおかつ、さまざまな出来事に影響を与えられることがわかっています。すなわち、形而上学者たちが主張してきたように、人間という個人や集団は、現実は共同創造しているのです。
 これを科学的に表現すると、人の関心と意図が共鳴し、さらにその無意識なパターン行動が共鳴する結果、自由波の可能性という量子場が、コヒーレントな定常波に調和して、物質として現象化する、ということになります。
 これから本書で述べるように、私たちの気づきのレベルが高いほど、関心と意志は集約され、恒常的な健康と幸福を共同創造しようとする力は強まるのです。
(引用ここまで)

 非局在的な知覚が可能というのは、空間や時間を飛び越えて知覚することが可能だということのようで、何億光年先のことや過去未来のことを知覚できるということらしいです。

 伊勢白山道さんは、「すべての時間は縦の流れでは無く、並行してすべてが同時に存在している」、リサ・ランドールさんは5次元宇宙では、5次元以下の時間や空間の次元が折り重なるように多層的に存在しているとおっしゃっているとのことです。(4月8日本ブログ記事)

 ジュード・カリヴァンさんは、さらに踏み込んで、「私たち人間も現実を共同創造」しており、「人の関心と意図が共鳴し、さらにその無意識なパターン行動が共鳴する結果、自由波の可能性という量子場が、コヒーレントな定常波に調和して、物質として現象化する」と言っています。

 ほとんど分からないのですが、どうも量子場というところの現象らしいです。非常に面白く好奇心を刺激される話です。分からないながら追っかけて行きたいと思います。

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2013年3月23日 (土)

2013年3月23日、伊勢白山道、中今思想

 伊勢白山道http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou は毎日見るブログです。
 中今思想ということが出ていました。恥ずかしながら始めて知った言葉です。

(以下引用)
すでに持つモノを信じることが大切
2013-03-10 再検証シリーズ「「森羅万象5」について」(2011-08-08)

神道で言う中今(なか-いま)思想です。
中今思想とは、今の一瞬を懸命に自分なりに生きれば、それは過去と未来も同時に祝福することに「成る」ということだと神示は示します。

要は、すべての時間は縦の流れでは無く、並行してすべてが同時に存在しているので、今という瞬間に感謝ができれば、それは過去も未来もすべてがハッピーエンドだという、終わりが良ければ過去も価値を持ち生かされると言うことです。
本当は時間には終わりが無いので、今の瞬間がすべての時間を「決めている」と言うことです。
今の瞬間を生き切れば、その後は「お任せの心」で生きるのが大切なのです。

今日も、思いっ切り自分なりに生きましょう。すべてがOKに成ります。

(感想)
すでに自分自身の中には、求めるべき大切なモノがそろっていることを「信じる」ことが大切です。
これが本当の信仰です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます
(引用ここまで)

 神道には「中今思想」というものがあることを始めて知りました。
 過去も未来もつながっている。今を精一杯生きることが大切、と説明されていて、これなら分かりやすいです。

 しかし、「すべての時間は縦の流れでは無く、並行してすべてが同時に存在している」という言葉にはビックリしました。
 これまでで一番驚いたことの一つが「聖書の暗号」です。旧約聖書5編のなかに未来の出来事が書かれてあって、コンピュータ分析によって、そのとおりの事実がほぼ証明されたといえることです。未だになぜ未来のことが示せるのか分かりません。
 しかし、もしここに書かれているように、すべての時間が同時に存在している、ということであれば、旧約の時代に、未来のことを知って、書いておくことが可能であることになります。
 他の方もおっしゃっているのかも知れませんが、「すべての時間、同時存在」思想というのでしょうか、伊勢白山道氏の文でこのような考え方があることを初めて知りました。
 今の瞬間がすべての時間を「決めている」という解釈は極端すぎますか。すごいというか、有り難くもあり。
 といいますのは、過去に良いことばかりしたわけではありません。取り返しがつかないことが多いです。
 もし、伊勢白山道の「中今」思想というべき、「今日も、思いっきり自分なりに生きましょう。すべてがOKになります。」であるなら、相当救われます。

 「今」の行動の中に、将来のことが決められてある、と、お笑い実験生活学は思うのです。
 その生活学では、「今、片付けないと、時間が経つにつれ、さらに片付けに時間を食う」、と考えています。今の今のなかに、片付けの真髄がある、と、こう、思うことがあるのです。で、中今思想につながる、というお笑いの一席。
 さ、今を、自分なりに思いっきり、生きましょう。

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2013年2月20日 (水)

2013年2月20日、神は人に依って神となる(日月神示)

 もともと理窟をこねることは好きです。たとえば、意識とはいったいなんだ、私とは何?どこからどこまでが私なんだろう?神とはいったい何?などと言ったことです。
 高校の頃でしょうか、神とは自然であると考えて、とりあえず、これでよろしかろうと思った記憶があります。

 この5年間で、だいたい私は陰謀論者になりましたきっかけは9/11テロです。

 また、神と私、神と人間については今も考えることがあります。
 4年前に、船井幸雄・中矢伸一著「いま人に聞かせたい神さまの言葉」、徳間書店(2008)に、「宇宙万有(かみさま)は人間(あなた)を通してしか生成発展できない!」という言葉が出ていて、変に惹かれました。
 あれ、神さまって私たち・人間に依存しながら、生成発展するものなのかと、不思議に思ったのです。普通は神さまははるか高みにある絶対的存在だと思っていましたから、なんとなく可笑しいような、うれしいように感じました。

 岡本天明著、ひふみ新世紀、コスモ・ビジョン(2001)に「神は人に依り神となり、人は神によって人となるのざぞ」と出ています。
 あれあれ、この神さまは人に依存しているのかしらと思ったのです。

 ここに書かれている神さまは、絶対神ではなくて、「おいおい、人よ、しっかりしておくれよ、神は人に依って神になるのだから」と何かをたのまれているような神さまみたいです。
 頼まれたらこれはしっかりしなきゃならないなあと思ったりします。
 すぐ忘れますので、書いておきます。

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2012年8月 7日 (火)

2012年8月7日、伊勢白山道「内在神」

 伊勢白山道氏は「内在神」の考え方をおっしゃっています。すべての人の内に神さまがいらっしゃるというのです。「悉皆仏性」の考え方と同じかもしれませんが、もう少し積極的なのではないでしょうか。
 生まれてから死ぬまでずっと「内在神」がいらっしゃること、内在神を育てるも無視するもあなた次第というのです。
 内在神の考え方が非常にありがたいのは、年寄りである私にとって、死ぬ時は一人ではなく、内在神と一緒ということになります。
 ですが、同時にどれだけ「内在神」を育てたかを問われるということですので、実は大きな責任があるようです。

 私にとって「内在神」の考え方と共通性を感じる最初の言葉は、船井幸雄+中矢伸一「いま人に聞かせたい神さまの言葉」、徳間書店、の目次、第Ⅲ部のタイトルが、「宇宙万有(かみさま)は人間(あなた)を通してしか生成発展できない!」でした。
 この言葉は、人が、私が、神さまあるいは宇宙万有の成長発展に関与しているということでしょうから、あなたが宇宙の生成に関与しているのだということであり、責任もありますということでしょう。驚くと共に、新鮮な思いがしました。

 宇宙論量子論を修め、考古学博士であり、イギリスのトップビジネスウーマンだったジュード・カリヴァンさんは、「あなたはまもなく銀河人になる」、徳間書店で、「あなたはまちがいなく宇宙の共同創造者です」と言っています。
 共同創造者、これはまたビックリですし、責任の重いことです。

 いつか一番驚いたのは「聖書の暗号」であり、旧約聖書の中に現代の様々な出来事が予測されていることでした。このあたりから、とんでもない考え方、でもどこか真実が入っていると感じてしまう考え方に惹かれていったのです。
 「内在神」の考え方も同じ流れで、しかし、穏やかな考え方とさえ思います。

 ちょっと夏ばてで、体調を崩し、やっと回復しました。そんなときにまた、伊勢白山道さんの「内在神」を思い出しました。
 「生かして頂いてありがとうございます。」(伊勢白山道さんの言葉)

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2012年7月25日 (水)

2012年7月25日、伊勢白山道「自分自身との真剣勝負」

 この頃は伊勢白山道ブログhttp://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/1 を毎日見ています。
 2012年7月9日の記事は「自分自身との真剣勝負なのです」とあって、最初に写真が出ています。
 椰子の葉が見える海岸通りのような砂地で、ボロに近い服を着た13歳くらいの娘さんが泣きながら立っていて、その前で60歳を超えたとみえる裕福とは見えない老人が、自分のサンダルを女の子に履かせるようにかがんで差し出しています。以下、伊勢白山道さんの7月9日の記事全文です。

(以下引用)
私は、この写真を視まして、非常な感銘を受けました。
この老人の意識に神の光を感じます。
もし日本人ならば、泣いている少女に御金を渡すことは出来るかも知れません。それが出来るのもまた、情け深い良い人間です。
しかし、自分が素足に成ることを覚悟で、少女にサンダルを差し出す人間はなかなかいません。
更によく見ますと、老人も同じく貧乏かも知れません。

この写真からの学びは、
(1) 御金を持つ人が大金を寄付することと、とても貧乏な方がサンダルを差し出すことは、霊的には同じだと言うことです。コノ世の物資的な影響力は、大きく違ってもです。
両方に、それぞれの尊い価値が在ります。
人間は、自分は他人を助けることも出来ないし、そんな立場・状況でも無いと最初から諦めているかも知れません。

しかし、そうではなくて、
(2) “自分の環境の中から”他への「思いやり」をコノ世で発露させることが大切なのです。
色んな意味で他人と比較した価値観を人間は持ちますが、そうではなくて非常に些細なことでも良いのです。
自分が出来ることの中から、どれだけ思いやりを他へ実行するかが大切です。

(3) 自分の良心(内在神)との1対1の真剣勝負を、私たちは毎日しているのです。
自分が他人にしたことは、善悪ともに自分自身にしていることに成るのが霊的な真理です。
どんな事も、自分へ帰ります。
このことに、人間は気付かなければ生けません。
人間が一番に畏れるべきは、自分自身の良心(内在神)なのが本当です。
これ以上に言うべきことは、何もありません。

生かして頂いて ありがとう御座位ます
(引用ここまでです)

 自分の良心(内在神)との1対1の真剣勝負を、私たちは毎日しているのです。
 自分が他人にしたことは、善悪ともに自分自身にしていることに成るのが霊的な真理です。
 一番恐れるべきことは、自分自身の良心(内在神)なのが本当です。

 くり返し引用してすみません。自分の生き方をすべてこのように意識して過ごすことはとても出来ません。沢山悪いことをしているので、困ったなと思います。
 ほどほどに、反省して、頑張ります。
 上書き修正が可能だともおっしゃっていましたので。
 いい方にだろうか、悪い方にだろうか。(冷や汗)

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