カテゴリー「シュタイナー・十二感覚」の36件の記事

2016年1月31日 (日)

2016年1月31日愛山キリギリス農場12感覚仮説

 寒い日が続いています。昨日は納屋の雪下ろしをしました。
 午後2時から5時まで、納屋の西半分、命綱をつけて、暗くなって作業を終えました。
休みなく3時間で終わったのは立派な作業量でしたが、今朝はくたびれ果てていまして、今日は仕事になりませんでした。
 納屋の西半分は高くて、落ちるとヘタすると命がけです。命綱をつけているとは言え、どんなになるやら分かりませんので、鉄地河原さんに屋根に上がることを電話しておきました。
 鉄地河原さんにお叱りを受けたのは、午後3時以降は非常に危険だと言うことです。山でも、表層雪崩にしろ、底雪崩にしろ、午後3時以降に落ちるのだそうです。
 一応、マイナス8度であることを確認して、解けて滑ることはないと思ってはいましたが、やはり気温が低くても午後3時以降はダメと言うことでした。

 この愛山の生活は、「生きている実感」が多いです。
 シュタイナーの12感覚論的には、四つの身体感覚です。

 まず、生命感覚です。屋根の雪下ろしですが、日常生活の中にも命の危険が身近にあります。納屋の西屋根と母屋の南側の雪下ろし、チェーンソーでの丸太きり、斧での薪割り、除雪機、トラクター、耕耘機など、怪我とか命に関わるような機械操作です。
 疲れも生命感覚の大きな要素です。
 おなかが減ること。 
 喉が渇くこと、
 夜の恐怖と言いたいのですが、私はあまり怖くはありません。
 痛みがあります。よくけつまずきます。これは老化のせいで、愛山の生活故ではありません。が怪我する材料は多いです。

 触覚については、夜の気配は触覚が感じます。仕事中の爽やかな風。
 運動感覚と平衡感覚は、二つとも農作業(田・畑)、除雪、薪割り。

 まず上記、身体4感覚をよく使っていると思います。
 
 これは感覚ではないのですが、「ありがたい」と感じること、思ったりすることが多くなりました。これは歳のせいかもしれないのですが、一応、愛山の生活、やや不自由な生活によるかもしれないと思います。

 「逞しく生きる」ためには生命感覚のトレーニングが必要です、というのが愛山キリギリス農場の12感覚論仮説です。

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2015年6月12日 (金)

2015年6月12日、認知症予防を12感覚的観点からトレーニングを

 先日、認知症になった女性の映画の紹介を見ました。
 老化をもっぱら病気とか体力の衰えとか身体の事が第1関心だったのですが、認知症という感覚的知的レベルでの老化・病気の方が実は身近のようです。
 出来る対策は特別なことではなく、日常的なことと思います。以前少し触れても居ますし、基本はこれまでも言い続けている対応策です。
1)身体のこと、山登り、出来れば一人で行くことも大切。
 身体のことをまず、感覚的観点からトレーニングすることが努力目標です。
 イ)触覚
 ロ)生命感覚、山登り、
 ハ)運動感覚(トライアスロン)、山登り
 ニ)平衡感覚、山登り、トライアスロン
 
 ホ)嗅覚(料理、掃除、香)、
 ヘ)味覚(料理)
 ト)温覚(暖房・風呂)
 チ)視覚(絵画・書)
 
 リ)聴覚(音楽:楽器・歌)
 ヌ)言語感覚(詩歌・文学)
 ヲ)思考感覚(哲学)
 ワ)自我感覚(社交・ダンス)

 感覚的には、12感覚的領域でトレーニングしてよろしかろう。
 はい、認知症予防に、12感覚的にトレーニングすべし。

2)家事(料理・掃除片付け)

3)勉強・仕事

4)社交・エチケット・マナー

5)芸術的活動

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2015年3月 4日 (水)

2015年3月4日木、異常気象、痛みの経験

 愛別、旭川など上川地方のほか、先日行った、深川方面も少雪でした。異常気象だと騒いだのですが、石狩方面は決して少なくないそうです。オホーツク、道東方面は暴風雪も積雪も多いようです。ですから、私が騒ぐほど異常な少雪ではないかもしれません。
  すみません。実は愛媛にいた小さい頃から、台風は好きでした。台風が去った後の倒木をワクワクしながら見ていました。打ち寄せる大波を見に行ったこともありました。
 自然の驚異を感じること、大事なことだと思いませんか。

 ついでに率直に申しますと、子どもが怪我をして大騒ぎをするのは好きではありません。
 子どもは怪我をしながら育つのだと思います。子どもの切り傷、打撲など、親としては歓迎すべきことです。自分の痛みを通して、人の痛みも感じられる面があります。

 個人的な感覚かもしれませんが、小さい頃、転んだりぶつかったりして、非常に痛い思いをして我慢している時に、だれか大人から、痛かったねなどと声をかけられると、それをきっかけに大泣きしたり、あるいは、恐ろしく腹をたてたりした記憶があります。俺の痛みを横取りするな、みたいな変なつっぱりだったように思います。自分のドジで痛んでいる悔しさもあるかもしれません。
 そうなのです。私の場合、痛みは私のものであり、横取りされたくないのです。
 だれか他の人の痛みの場合でも、その人が経験している痛みに介入したくないような気持ちがあります。
 共感力が弱いのかもしれません。
 でも、年寄りが昔のことを思い出していいますが、昔は膝に擦り傷、打撲は当たりまでしたでしょう。その痛みの当たり前が、たくましさを育てるのでしょう。
 だから、教育目標に、たくましい心を育てることをあげるのなら、おおいに痛みの経験をさせるべきなのです。
 おおいに疲れさせるのが良いのです。
 はい、新郷土教育の柱、シュタイナーの12感覚、生命感覚育成論でした。

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2015年2月20日 (金)

2015年2月20日、認知症と生命感覚

 現代病というか現代の老人の問題には認知症があり、どんどん増加しているようです。ボケと認知症の違いがあまり分かりませんが、自分がその中にいると思うと認知症予防、認知症治療(があるなら)を努力しなければならないと思います。
 子どもについても、逞しく生きる力の問題が大きくなっています。対人関係能力の未発達も同じ子どもの現代的問題であると思います。
 問題の背景は端的に言ってしまえば、シュタイナーのいう12感覚の身体4感覚、すなわち、触覚、生命感覚、運動感覚、平衡感覚の発育不全にあると考えます。とくに、生命感覚の発育不全が問題です。
 生命感覚は、ひもじい、喉が渇いた、痛い、疲れた、眠たい、などにつながる感覚です。これは汗をかく、かかないことにつながる感覚です。
 このキリギリス農場ではよく「生きている実感」を感じることができます。夜帰宅して、車を降りて車庫を出ると、月の夜、星の夜、暗い曇りの夜と様々ですが、ああ、生きていてありがたいと思います。薪割り、畑仕事などの力仕事をしていて、汗をかき、涼しい風に当たるとああ。気持ちいい、生きている実感!です。
 今の認知症老人世代が、成人、壮年期に、空腹の経験、肉体的疲れ、痛みという、生きている実感がないまま、ただ、忙しく仕事してきて、老人になったのではないかと想像します。
 「生命感覚が刺激されされない環境は認知症を生みやすい」という仮説を立ててみます。生命感覚だけでなく、身体4感覚(触覚、生命感覚、運動感覚、平衡感覚)に広げても良いかもしれません。すなわち、「身体4感覚を刺激し育てない環境は認知症を生みやすい」となります。
 この12感覚とくに生命感覚重視論はこれまでも繰り返し言っていることですが、今回は認知症との関連で検討し、山スキー単独行容認論という個人的弁明として述べました。 
 「山スキー単独行は認知症予防になる」という仮説は、さて、当たるか、当たらないか。

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2014年8月21日 (木)

2014年8月21日、老人の生命感覚、中でも疲労感覚について

 今日の午後、お疲れのご様子といわれてしまいました。
 昨夕のクロール1km40分は、気持ちは元気で、やれると思ったのですが、体は疲れていまして、表情に出ていたようです。
 体の疲れの感覚、生命感覚の1つですが、これが鈍感になっています。私の老化は疲労感覚の鈍麻にある、このことを受け入れなければなりません。
 三日間の十勝連峰縦走も、疲れがとれるまで、2週間から3週間かかりました。田畑の仕事、家事は続けてはいました。
 結局、この夏、気がついたことは、私の老化は、生命感覚のなかの疲労感覚の鈍麻、それともう一つ、山での行動が、見積もった行動時間の1.3倍から1.5倍かかった、ということでした。
 恥ずかしながら付け加えますと、一度、下りで転倒したのは、午後4時頃でした。農作業でよく言っていた「魔の第4ラウンド」でした。
 こうやって気がついていても、実際には、そのときに起きてしまうでしょう。

 この現実を受け入れつつ、絶えず運動はし続けます。
  このようなお話を、片や、60歳を過ぎてサッカーに打ち込んでいらっしゃる方と、共感し合いました。
 運動をやめてしまうと、老化斜度の急降下を見るだろう、可能な限りぎりぎり頑張りつづけようという考えを共有しました。

 夕方、花咲公園駐車場から、マラソンコース10kmを自転車で走り、折り返し点に小さな標識を立ててきました。
 考えてみれば、最初の水泳が終わった後、2番目の自転車で比布大橋まで行くときに、立ててもよかったのでした。次回はそのようにします。

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2014年1月 9日 (木)

2014年1月9日、キャンプヒルに方は無報酬なのでしょうか

 「シュタイナーのバイオダイナミックとキャンプヒルを目標においたのですが、とても及びません。」と書いて、シュタイナー農場の看板を下ろしたのですが、二つの目標は考え続けていきたいですし、日本的な在り方が何処かにあるだろうと思っています。少しずつ意識していきたいと思っています。

 久し振りに、サー・ローレンス・フォン・デア・ポスト編著「キャンドル・オン・ザ・ヒル 丘の上の灯火」、飛鳥新社、平成14年に出ているカール・ケーニッヒの「キャンプヒルの本質」を読みました。
(36ページから引用)
 キャンプヒルを慌しく訪れ、表面的に見る人々は、しばしば、私たちの生き方を早合点して捉えます。共働者が誰一人賃金や報酬を受け取らないのは、経済面での取り決めではなく、ハンディキャップを持つ人々にとっての正しい環境を作ろうとする社会的な努力の一部分なのです。
 もし、私たちが雇われて給料を受け取る身であったら、今のようなことはできないだろうとはっきり言えます。給料を支払われたことで、その活動は社会的な価値を失うからです。専門職を持つ人も自分の奉仕に対しては支払われません。支払われたとたんに、それは奉仕ではなくなるからです。賃金はお金でなくても、それを支払う人と受け取る人の間に柵を作ります。互いに与え、受け取るのは、人間関係として当然ですが、賃金が支払われたとたんに、真の人間関係が失われてしまいます。支払われた奉仕はもはや奉仕ではなく、支払われた愛も愛ではなく、支払われた支援は支援とはとても言えません。
 奉仕と社会的な環境の間にある、優しいつながりが理解できるようになると、ハンディキャップを持つ人々のための教育とコミュニティに一筋の新しい光が差し込みます。活動が社会的に成功するのは給料が含まれないときだけです。支払いは別の形でなされるべきです。奉仕が自由に行われるのと同じように、支払いも自由に行われてよいのです。
 経済に関しては、真の兄弟愛がなければなりません。兄弟愛の中では、みんなが平等であると同時に、各々の基準が認められます。誰もが他の兄弟姉妹と同じ条件で生きているわけではありません。必要とするものは人それぞれ違います。とはいうものの、金銭の要不要にかかわらず、人が兄弟のように愛し合うことを学ぶ必要があることに変わりはありません。
(引用ここまで)

 この精神ですと、キャンプヒルの方々は無報酬なのでしょうか。おいおい学んで行きたいと思います。

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2013年3月12日 (火)

2013年3月12日、薪割り

 3月10日は愛山ではこの冬一番の雪でした。40cmくらい積もったのではないかという感じです。
 カワサキの除雪機で除雪しましたが、ハウスと納屋の間は
ハウスと納屋の間は、飛ばした雪もあるので3mくらいの高さになりました。今朝12日もさらに雪が積もって、こちらへ来て初めての積雪量です。
 昨11日は薪が切れていたので、南の農道を除雪して、薪割りをして、5日分ほど玄関に運びました。
 短い文章で、とい言ったことはほぼ忘れました。田舎暮らしの良いところ、薪割り編として書いておきます。

 薪ストーブは贅沢です。確かに。田舎ではそれができます。化学肥料を金肥といったのですね。お金を払って買う肥料と言うことで。
 暖房用の石油はまさに金薪といってもいいでしょう。薪も自前の森林を持っていないと、お金を払って買わねばなりません。でも古い材木を頂くこともあります。
 この冬、5年前に高田さんから頂いた納屋の材を燃やしています。青木(針葉樹)は早めに燃えてしまいます。しかし、固い木は非常に長持ちします。今日午後は多分、ニレの材を割って燃やしています。固くて重くて火持ちがいいです。
 薪割りは実は楽しい作業です。勿論、腕の筋肉は疲れます。下手すると腰にも来ます。何が楽しいのか、考えておきたいと思います。

 12感覚的に言えば、まず、身体4感覚のうち、運動感覚、平衡(バランス)感覚を使います。久し振りだと最初はふらつきますが、だんだん腰も安定してきます。生命感覚は、まさかりを落とすのも結構危険で、注意しないと怪我をします。疲れます。汗をかく感覚など生命感覚に属するでしょう。触覚は、まさかり、スコップを使う時、薪、雪をはねる時など、ほとんどの場面で使います。
 味覚はあまり使いませんが、汗をかいてなめたり、時に感じます。
 嗅覚は、雪、薪、空気の匂いを感じているのでしょう。
 冬の作業はつねに温覚(熱感覚)で空気の冷たさ、暖かさを感じます。
 しっかりと薪を見て、視覚を使ってまさかりを振り下ろします。跳ね返される音を聞き、まさかりの刃の入り具合で、木の堅さを知ります。
 12感覚の内、言語感覚、思考感覚、自我感覚は使いませんが、9感覚は動員しています。生き生きするわけです。
 
 薪割りは達成感があるのです。今日は薪の割れ筋といいますか、割れやすい薪の位置をあまり注意してみませんでした。厄介な丸太はまさかりを落とす位置によって、割れたり、跳ね返されたりします。うまく割れると、さらにもっと難しい丸太を割りたくなります。筋の良い丸太はこれは気持ちよくてさらにもう一本割りたくなります。
 子ども達や大人も薪割りを結構やりますね。楽しんでいるように見えます。
 くり返しやっていると、薪割り用の体ができてきますし、長くしていないと体がヤワになっているのを感じます。

 昔の人に聞きますと、薪割りも大変な(できれば避けたい)仕事だったといいます。そういえば、丸太を鋸で挽く作業があり、この方が大変だったのでしょう。想像するだにつらそうです。今、偉そうに言っていますが、ノコで薪を作りなさいといわれると、こいつは大変です。
 ノコとまさかりで薪を作ったんです。冬に丸太を切って山から下ろしてきて。馬を使って。やっぱり大変です。

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2013年2月 6日 (水)

2013年2月6日、感覚論、運動感覚

運動感覚

ものを見ると言うことは眼球の運動を必要としており、運動感覚と密接につながっています。
身近な例ですが、羽球をしていて痛感しているのは、脚力の衰えのほか、動体視力の衰えです。相手が打ったシャトルを追視しづらいのです。視覚の衰えは、運動感覚の衰えにつながります。
三角形を認識する時、眼球が三角の線をなぞるという運動感覚を使うことによって、三角を認識するといいます。

 感覚論というものこだわっている訳は、第2次敗戦という私流の末世の姿のなかに、子どもも大人も感覚の不健全さがあると思うからです。
 感覚、感覚の不健全さとはどんなものか、健全な育成とはどのようなものかを考える必要があると思います。
 30数年前、情緒障害教育、不登校問題に関わるようになって、最初に感じたことは日本の子ども達全体に生命感覚が欠如している、生命感覚が不健全であるということでした。
 40年以上前、ネパールの山村の子どもたちのなんと生き生きとした目であったことか。それに比べて、日本の子ども達の目から生き生きさが消えていました。昭和20年代にはあった生き生きさです。
 生き生きとたくましく育てよう、と言っても、なぜ生き生きさ、逞しさがないのかを知っていないのではないですか。
 簡単にいってしまえば、ひもじさ、痛さ、の体験の欠如です。生命感覚の未熟さ、がまず最初に気づくべきことです。

 運動感覚あたりになって、だんだん小難しくなってきました。

 でも、抗老化のためには、感覚の再育成が大切でもあります。
 今の子どものためといってもいいのですが、平たくいえば私の抗老化、抗呆化のための感覚論です。
 今のあなた、テレビは、視聴覚をまず恐ろしく退化させ、すぐつながって、生命感覚、運動感覚、平衡感覚を鈍化させているのです。
 自覚なされませ。(笑い)

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2013年1月29日 (火)

2012年1月29日、視覚

 平衡感覚(バランス感覚)の次は運動感覚が来るのが自然です。
 が、バランスは視覚が強く関係するように感じます。
 老化の一つに視野狭窄があります。目の前にあるのに気がつかないというのは視野が狭くてすぐ側のものまで視野に入っていないということでしょう。視野を広く遠くに保つことでバランスを保てます。視野狭窄がバランスを崩しやすい原因ではないでしょうか。
 
 感覚論を愛山の生活を中心に考えているのですが、どうしても老化関連になりがちです。
 愛山の生活で、視覚を最初に意識したのは、柳の小さな芽を見つける目が育ったと言うことです。最初の年の夏前に柳の芽が沢山出始めたことを気がつきました。ほっておくとだんだん大きくなって、夏を過ぎると、逞しくなって引っこ抜くのに力が何倍も必要となりました。これは早く抜かなければと、よく柳の苗を見るようになりました。雑草の中の柳は紛らわしくて見つけづらいのですが、だんだん素早く見分けられるようになりました。

 視覚の定位反射(おやなんだという反応)が敏感になっています。聴覚の定位反射と同じです。今朝、窓の外を見ていると、視野になにかが動くのが見えます。おや、なんだ?これが定位反射です。よく見ると、コーヒーミルを回す手が窓に映ってぼんやり何かが動くように見えたのです。
 愛山の生活はこの定位反射が比較的い多いように思います。それはそうです。通常の生活から見るとややサバイバル的なところがありますから。

 この定位反射の多さも生きている実感につながっているのでしょう。

 昨日の続きですが、私が小沢一郎氏を支持する大きな理由は、米国にしっぽを振らない数少ない政治家だということです。今、日本は完全に米国に支配されているので、小沢氏は非常に困難な道を選んでいます。だから支持します。

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2013年1月26日 (土)

2013年1月26日、聴覚

 嗅覚の次は味覚と思われたでしょう。私もそう思いました。
 次なるは、聴覚です。耳をそばだてて、おかしな音が聞こえないか、今聞こえた音は何?何の音?危険はないか?警戒すべき音か?と。
 旧台所のパイプを凍らせて、元栓を開けたところ、水がジャージャー出てしまいました。反応が遅くてバルブを閉めるのが遅れました。サバイバル生活では、聴覚をもっと鋭敏にしなければなりません
 冬は外出する時、トイレの元栓と居間のほうの元栓も閉めて出かけます。この元栓は流しだけでなく、風呂、洗濯機の水を供給しています。ですから元栓をしめた後、流しと風呂場と温水器下の蛇口を2カ所、開けておきます。さもないと温水器に残った水、風呂場へのパイプの水が凍る恐れがあります。
 今年の冬シーズン開始直後、元栓を閉めて外出し、夕方帰宅して、つい、先に元栓を開けてしまいました。コンピュータの電源を入れたりしていると、何となく怪しげな物音がします。温水器下の蛇口から水が出て、バケツから溢れています。あわてて、蛇口を閉めて、その後、雑巾総出で水を含ませて絞って、あふれた水を取搾り取りました。大騒動でした。
 気がつくのが遅すぎますし、冬の水の恐ろしさを思い出していないから起こる失敗です。
 元栓を開ける時は、必ず、必ず、開けておいた蛇口をまず、占めることです。
 以後そのドジはしていません。シーズン始めは気をつけなければなりません。
 もっと耳を澄ませておいて、異音に気がつくべきなのです。
 来年の冬シーズンに予習しておかなければなりません。除雪、屋根の雪下ろしの仕方についても。

 冬シーズン始めの屋根から落ちる雪の音も、ドシンドシンと風情と言うよりたくましく音を出します。

 ストーブの燃える音もこいつはいいです。

 音と言えば、冬の静けさを言わなければなりません。39号線の自動車の音は、除雪された雪の壁に遮られます。また、雪そのものが音を吸収しますので、静かなのです。雪で静かなのです。
 静かですから、星や月もより綺麗です。
 
 考えてみれば、現代は騒音に満ちあふれています。よくもまあ、耐えていますね。
 テレビは全く見ません。
 テレビは、自分の視覚と聴覚を完全に奪ってしまいます。静けさを奪われるのです。
 ラジオでも油断すると付けっぱなしになります。いつのまにか騒音のなかにいることになります。
 一種の中毒です。

 大宅壮一の「ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い」の言葉のとおりです。
 
 やはり、テレビ、ゲーム機の制限は家庭教育に必須です。
 好きな番組は週に一つか二つにすべきでしょう。
 健全な聴覚の育成を阻害するからです。

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