カテゴリー「農業講座・諸農法」の4件の記事

2010年11月11日 (木)

2010年11月11日、シュタイナー2種類の窒素、王仁三郎空中窒素

 ご存じの通り、私は1999年のノストラダムスの予言をありうることと思っていました。外れましたが私の予言好きは変わっていません。最近は、聖書の暗号です。これには驚きました。
 いずれも西洋語によるものですが、日本語では、日月神示があり、予言ではなく将来展望についてでは月間「ザ・フナイ」関連資料があります。予言と科学の間に、ヤスの備忘録があります。
 いえ、私の予言好きと、オオカミ少年的性向をまず申し上げます。
多くの予言が大恐慌、大崩壊、カタストロフィをいい、すでにその中にあるといいます。関心がありますことは、その状況をどう生き、その後の世をどうつくるかです。
 まず、生きていくために作物作り、農が考えられなければ成りません。
 どのような考え方をもち、どう教育を作るかが大切です。現在の物質金銭経済市場主義が荒廃を生んだということは間違いないでしょう。
 当然、自分の生き方、生活の仕方、考え方にかかわります。
 いつもながらの、前置きです。

 農への関心は、ネパールでの生活や、福岡正信さんの自然農法とか、ワラ一本の革命とか1970年代の自然農法本から始まったように思います。
ついで、シュタイナーの治療教育講座、農業講座へと進みました。ここで足踏みしています。
 といいますか、生活を農的生活に移している時期であり、大きな前進の時期とも言えます。

 もう一度、シュタイナーの農業講座(新田義之・市村温司・佐々木和子共訳、イザラ書房)に帰りますと、序言に代えて(1924年6月20日)です。
 「カーリーユーガ(暗黒の時代)から明るい時代への過渡期にある現在、衰退をたどっているのは、人類の倫理的な発達の面ばかりではないのです。人間が大地およびそれに密着するものから自分の働きによって作りだしているものも、急速に衰退に向かっているのでありまして、このことは今日統計的に確認されており、たとえば農学関係の集まりなどで問題にされては来ているのですが、ただ人々はどうすることも出来ないのが実情なのです。」
 「たとえば、私が話しましたあの農作物の退化、ないしはその品質の下落に決定的な役割を果たしたのが鉱物性肥料(化学肥料)であることを知っている人はおりません。……じつは空気中に酸素とともにある生命のない窒素と、もう一つの別種類の窒素との間には、大きな違いがあるのです。……死んだ窒素というものが存在するのです。これは私たちを取り巻く空気の中にあり、酸素と混ざり合っているそれであって、この窒素は私たちの呼吸作用、ならびに私たちと空気との共存の営みに、一つの役割を果たしています。……肥料とともに地中に入らねばならない窒素は、全宇宙の働きかけのもとで形成されねばならず、生命をもった窒素でなければなりません。このような相異なった二種類の窒素が存在します。一つは地球の表面より上にある窒素であり、もう一つは地球の表面より下にある窒素です。前者が死んだ窒素であり、後者は生きている窒素なのです。」

 生命のある窒素と生命のない窒素があるといっています。訳が分かりませんが、意味があると思いますので考え続けます。

 出口王仁三郎の「空中肥料」についてのの言葉です。
 「稲は、空中の食物を十分に食べさせねば十分の収穫はない。空中肥料をうるためには、空気の流通をよくしてやることが必要である。いまの農事に志すもの、肥料のことを知って、空中肥料のもっとも大切なることをば知らない。」(出口王仁三郎、三鏡、八幡出版、426ページ)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月24日 (月)

春の調剤作り(2)

 5月22日のBAAJ北海道グループ「春の調剤作り」の印象が強いのでもう一度触れます。
 1つは、往復340km6時間の連続運転、重く粘つく牛糞の撹拌作業などの重労働にかかわらず、疲れがあまり出なかったことです。牛糞に特別な健康エネルギーがあるのではないかという仮説を持ちましたが、そのような経験をお持ちの方はいらっしゃらないでしょうか。

 もう一つはN氏のお話しです。夜8時前就寝、2時過ぎ起床、テレビなし、深夜ラジオが面白いこと、いい草を育てて牛に喜んでて食べて貰うことを願い、牛糞を愛し素手で扱われます。22日調剤作りのためにドラム缶2本分の新鮮な牛糞をご自分の放牧地から集めてきて下さいました。
 牛糞をこねながら私が陰謀論とか911テロとかについて話をしましたら、N氏から、もしそんなことがあるにしても私たちの目指すのは今行っているような、例えばバイオダイナミック農業を基本に置いた生活なのではないか、というご指摘をいただき、誠に感銘を受けました。
 どのような力が世の中を動かしているか、どの方向に行こうとしているかも大切かもしれないけれど、それがどうあれ、私たちの目指す「生活」はあまり変わらないのではないか。なるほど、まさにそのように思いました。
 健康な土を作り、健康な作物を作る、そして、みなに喜んで食べて貰って、楽しくお祭りのある村を作る、ことのように理解しました。私の勝手な受け止めかもしれません。

 H氏に稲作地でのバイオ的実践というとどういうのでしょうかとおたずねしましたら、一昔前の農家で曲り家のように馬一頭(牛一頭)各家で飼いながら、畦や近くの草で養い、堆肥を作っていたような農業ではないでしょうかとのお話しでした。なるほど、1つの農家で完結した一番小さなバイオダイナミックア・グリカルチャーということのようです。そうだとすると身近にバイオダイナミックを感じることが出来ました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月22日 (土)

2010年5月22日土春の調合剤づくり

日本バイオダイナミック協会(略称BAAJ:Biodynamic Agricuruture Association of Japan)北海道グループの「春の調剤作り」が共働学舎新得農場において開催され、参加してきました。

 朝7時過ぎ愛山をでて、三国峠、然別湖経由、ちょうど3時間(2時間55分)166kmのドライブで共働学舎新得農場に着きました。
 驚いたのは、大雪ダムの手前、三国峠手前で、左道路際に雌のエゾシカを見たこと、三国峠からの下りで事故にあった雌のエゾシカを見たことです。昨年冬前でしたか、大きな雄のエゾシカを当麻愛別線でこれまた自動車事故の犠牲ですが、見ました。たしかに非常に鹿は増えています。

午前中は昨年に埋めた調剤の掘り起こしをしましたが、表面から1cm~2cmくらいしか発酵が出来ておらずその下は生の牛糞のままでした。
 深く掘りすぎたのではないかということ、煉瓦で周りを囲んだことで熱を取り入れられなかったのではないかという仮説のもとに、3つのうちの1つを底上げして、地面より高くする穴と、2年前に参加したときの方法、白樺で周りを囲む方法の3つの設置法で作り直すことにしました。
 今年のものは、中川さんがドラム缶2本分をご自分の農場から朝早く起きて集めてきてくださいました。午後に半地下白樺で囲む方法で3つ作ることとして穴を掘って午前は終わりました。
 昼食は共働学舎の「ミンタラ」で自家製のパン、チーズ、バター、サラダ、オニオングラタン、デザートにソフトクリームにジャムと櫻の花、コーヒーで、丁寧で水準を超えたおいしさでした。
 午後牛糞の調剤作りで、1時間にわたって、7,8人でぐるぐる回りながらスコップで牛糞をこね回しました。牛糞は粘りがあって重いのです。重労働です。後半からスコップに載せる量を減らして、楽することによって最初よりは長時間こねることが出来るようになりました。

 夕方5時に新得共働学舎を出て、170kmを2時間50分で愛山に帰着しました。驚いたのは、休みをほとんど取らずに走り、全く疲れを覚えず、眠気もささなかったことです。普通、眠気で1,2回止まって休むのですが、それがありませんでした。
 新しい牛糞を1時間こね回すと疲れを感じなくなるという相当に変な仮説ですが、ほかに元気の素を考えられません。
 クラウン平成9年車で、ガソリン1リットル、13.2kmも驚きでした。
 今日の作業の準備をして下さった半浦さん、村上さん、中川さん、ほかの方々にお礼申し上げます。
 
  昨日5月21日は、午前中、小さい方の耕耘機のタイヤ幅を40cmくらいに狭め、ハウスの中を耕してみました。なんとか使えそうです。午後、キュウリ用のネットを立て、苗を買ってきてハウスに植えました。
 冬の出かける前の言葉は、「火、水、電気、戸締まり」でした。夏の言葉は、「ハウス、ハウス、戸締まり」です。ハウスの管理が一番大切でしょう。
  5月20日は雨が降るというので、切った廃材を乾燥のために納屋の南側に積みました。昼から雨が降りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月25日 (水)

シュタイナー「農業講座」序言にかえてより

 2009年の大雪シュタイナー農場は、昨年に続いて、①農業見習い、②トモニ療育センターの自閉症児の育児と教育実践、③シュタイナーの農業講座と12感覚、を学びの中心に据えようと思います。雪解けとともに慌ただしくなるでしょうから、雪のあるうちにもっと勉強しておかなければなりません。学びの資料を紹介していきます。
 次の資料の最初のところが、農業を勉強したいと思ったきっかけの一つです。衰退に向かっているのは人類の倫理的問題だけでなく、農業の問題も衰退していて、これは、宇宙的・地球的問題だと言っています。1924年に。よく分かります。この通りだと思います。
 さて、次から分からなくなります。生きている窒素と死んでいる窒素がある。肥料と共に地中に入らねばならない窒素は、全宇宙の働きのもとで形成されねばならず、生命を持った窒素でなければなりません。
 全く分かりません。しかし、どういう訳か、全く、魅力的です。なぜか?分かりません。が勉強しようと思います。お分かりの方、興味をお持ちの方、このブログにでも、ホームページの来訪者ノートにでもお書きいただければ幸いです。

 ルドルフ・シュタイナー 農業講座、新田義之・市村温司・佐々木和子訳、イザラ書房(2000)、序言にかえて一九二四年六月二〇日 ドルナハにおける農業講座に関する報告、より抜粋

 現在、衰退をたどっているのは、人類の倫理的な発達の面ばかりではないのです。人間が大地およびそれに密着するものから作り出しているものも、急速な衰退に向かっているのでありまして、このことは今日統計的に確認されており、たとえば農業関係の集まりなどで問題にされてきてはいるのですが、ただ人々にはどうすることもできないのが実情なのです。
 すなわち、ここで問題になっているのは、もっとも深い意味において一つの宇宙的・地球的問題なのです。今日人々にまったく知られていないさまざまな力が、精神的霊的な世界からもたらされねばならないということを、実に農業が明らかにしてくれています。これらの諸力は、ただたんに農業が少しばかり改良されるのに役立つということにとどまらず、人間の生命そのものが―人間は大地の生み出すものによって生きていくほかはないのですから―この地上の上で、物質的な意味においてもまた存在し続けることを可能にするという重大な意義を持っているのです。

p27 人智学の領域においては、最高度に精神的・霊的なものと、完全に実践的なものとの両面が一体となって活動しうることを人々はここに見ることができます。

 肥料が農地にとって何を意味するかをだれも知っておらず、・・・たとえば、私が話をしましたあの農作物の退化、ないしはその品質の下落に決定的な役割を果たしたのが鉱物性肥料(化学肥料)であることを知っている人はいません。

 じつは、空気中に酸素とともにある生命のない窒素ともう一つの別種類の窒素との間には、大きな違いがあるのです。窒素についてもその他の元素についてもいえるのです。
 死んだ窒素というものが存在するのです。これは私たちを取り巻く空気中にあり、空気中の酸素も窒素も死んでいることが、人間が空気中に住んで呼吸し、しかも意識を持って明晰に思索することができるための条件なのです。
 肥料と共に地中に入らねばならない窒素は、全宇宙の働きのもとで形成されねばならず、生命を持った窒素でなければなりません。   
 このようにして相異なった2種類の窒素が存在します。一つは地球の表面より上にある窒素であり、もう一つは地球の表面より下にある窒素です。前者が死んだ窒素であり、後者は生きている窒素なのです。

  植物の生長には、天体全体を含めての宇宙総体が関与しているのです。

p30 人間が自分の胃をとおして接種する栄養物によって、骨格や筋肉やそれ以外の組織が形成されるということは、徹頭徹尾人間の頭部だけにしか当てはまらないことなのです。消化器官という回り道を通って加工され、人間の体内に広がっていくものはすべて、頭部および神経感覚系とそれに付属する器官の中に貯蔵されているすべてのものにとっての形成素材であるにすぎないのです。これに対して、たとえば四肢組織ないしは新陳代謝器官のための物質、たとえば脚部や腕の管状骨を作るために必要な物質や、新陳代謝ないしは消化作用のための腸を形成する物質は、けっして口および胃をとおして摂取された栄養から作りだされるものではなく、これらは呼吸および感覚器官をとおして周囲の世界全体から摂取されるのです。人間の内部においては絶えず、胃をとおして摂取されたものが上昇していき、頭部内で消費され、逆に頭部ないしは神経感覚系の中で空気およびそれ以外の周囲の世界から摂取されたものは下にくだっていき、それから消化器系の諸器官と四肢とが作りだされてくるというプロセスが生じているのです。
 したがって、もしみなさんが足の親指の物質が何からできているかを知ろうと思われる場合、みなさんは食物を眺めてはなりません。もしみなさんがみなさんの脳に対して、「その物質はどこから来たのだ」と問われるときには、食物を見なければなりません。けれどもみなさんの足の親指の物質を知ろうとお思いになるならば、ただしそれが感受物質すなわち熱その他を内包しているものではないかぎりの話なのですが―というのはこれも胃をとおして養われているからです―、これが構造的な物質であるかぎり、それは呼吸をとおして摂取され、感覚器官をとおして摂取され、部分的には、それどころか眼をとおして摂取されているのです。そしてこれはすべて、すでに私がしばしば述べてきたように、七年間を一周期として肉体機構の中へ入ってくるのであって、したがって人間は実質的には、四肢・新陳代謝組織つまりその肉体機構に関しては、宇宙的な実質(kosmischer Substanz)から作りあげられているのです。ただ神経感覚組織のみが、地球的ないし地上的物質(irdischer Sustanz)から作られています。さてみなさん、このことは基本的に知られなければならない事柄でして、もしこれが捉えられていない場合は、人間と動物の肉体的生命はまったく理解することができません。しかもこれを知るための手段も方法も、今日の学問の中には何ひとつ与えられておりません。これは今日の学問をもってしては、まったく知ることができないのです。すなわち今日の学問が今のままの方法で作業を続けるかぎり、この事実に到達することはまったく不可能なのです。それが可能となる見込みはまったくありません。
 これは十分に反省されなければならない事柄です。今日、私たちは理論と実践とをひき離してしまっています。今日の実践は、精神をもたず、単なる習慣的業務と堕しております。

 しかしながら精神に由来するものは、もしそれが本当に霊的なるものから生じるかぎり、非実践的ではなくなります。このとき、霊的なるものは、本来的な意味において、もっとも実践的になるのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)