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2017年9月 6日 (水)

2017年9月6日、ハル・ノートとコミンテルン

 少し意地張って、出来るだけ投稿を増やそうと思います。
 昨日に続いて快晴。山がきれいです。
 愛山3区の水は上流の沢水をタンクに集めて、そこから50cmの塩ビ管で各家にひいています。
 水の減りが激しいので、パイプがどこかで切れているのではないか、確かめることになりました。笹を切り開いて、50年前に村の人たちで敷設したパイプを点検したのです。
 凄いでしょう。自分たちで水をひいたのですから。

 さて昨日紹介しました、江崎道朗、「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」PHP新書、2017、
 私がマインドコントロールされてきたなかでGHQのWGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム)が大きいと思います。これは実感です。
 もう一つ、コミンテルンの活動からも大きな影響を受けてきたのだった!と江崎氏の新書で実感の開始です。
 昨日の「はじめに」の続きです。

(以下引用)
 ソ連も1991年に崩壊し共産主義体制を放棄し、ロシアとなった。
 このソ連の崩壊に呼応するかのように外交、特に秘密活動に関する「機密文書」を情報公開するようになった。
…おかげでソ連・コミンテルンが世界各国に「工作員」を送り込みそれぞれの国のや対外政策に大きな影響を与えていたことが立証されつつある。
 アメリカも1995年、戦前から戦中にかけて在米のソ連のスパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した「ヴェノナ文書」を公開した。その結果、戦前、日本を経済的に追い詰めたアメリカのルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連のスパイ、工作員たちが多数潜り込み、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたことがわかった。
 第2次世界大戦前、アメリカの世論を反日親中に誘導した在米のロビー団体、国民運動団体の多くが、コミンテルンの「工作員」たちによって操られていた。また、日本に対し経済制裁を主張し、対米開戦のきっかけとなった「ハル・ノート」の原案を作成したのも、ソ連に北方領土などを明け渡すことを決定した「ヤルタ会談」に大きく関与したのも、みな、ルーズヴェルト民主党政権内部にいた、コミンテルンの「工作員」だったのだ。
 このため、アメリカの反共保守派のあいだでは、コミンテルンの「謀略」を前提に、ルーズヴェルト民主党政権と旧ソ連の戦争責任を追及する声が高まっている。
……
 機密文書の情報公開とそれに伴う近現代史の見直しが同盟国アメリカで起こっているのにかかわらず、日本ではこうした動向がほとんど報じられることがない。
(引用ここまで)

 「ハル・ノート」のような文書を示されればどんな弱小国家でも開戦に向かうと言われるその「ハル・ノート」を書いたのがコミンテルンの「工作員」だったとは。
 ルーズヴェルト大統領の戦争責任は大きいと思っていましたが、彼の後ろにコミンテルンの「工作員」がいたのですか。

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